親も成長している
ゆうしんハロです。
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先日X(旧Twitter)に投稿したものです。
子育ての参考になれば幸いです。
親も子どもと一緒に成長している。見た目だけでは分からないが、子どもの泣き声で感情が分かったり、体調が悪い時のサインも分かる。日々の積み重ねでできることが増えている。確実に成長している自分に気づいていますか?
— ゆうしんママ|子育てを振り返る| (@yuushinmama88) 2023年11月2日
親なのに→
親なのに『できていないこと』ばかりに目を向け自分にプレッシャーをかけるのではなく、『できるようになったこと』へ視点を変えて自分の成長を感じてみてください。少しずつだけど確実に成長しています。
— ゆうしんママ|子育てを振り返る| (@yuushinmama88) 2023年11月2日
子育てと一緒ですね☺️
子育てをしながら自分にもできることが確実に増えています。
どうしても『できないこと』ばかりに目を向け自分を責めがちになります。
苦しくなってしまう子育てよりも、『できるようになったこと』に目を向け、自分の努力を認めながら楽しく子育てしたいですよね。
頑張っていることを知っているのは自分です。自分をしっかり認めてあげてくださいね。
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親も子も1人の人間
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親も子も1人の人間。
— ゆうしんママ|子育てを振り返る| (@yuushinmama88) 2023年11月1日
『親から教える』こともあれば、『子どもから教えてもらう』こともある。
親だからって何でも知っているわけではないし、子どもでも知ってることはたくさんある。
お互い尊重し合える親子でありたい☺️
「親だから」「子どもだから」で決めつけていませんか?
夫婦でもお互いから学ぶことがあるように、
親が子どもから学ぶことも多いと思います。
年齢を重ねても、お互い尊重しあえる親子でありたいですね。
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ご無沙汰しております
お久しぶりです。
みなさんお元気でしたか?
1カ月以上空いてしまい申し訳ございません(-_-;)
実は数カ月前からX(旧Twitter)の投稿を始めました。
子育てに関する内容です。
Xでは、こちらで子育ての振り返りについて投稿していた内容から更に実用的になった内容を投稿しています。
皆さんのお役に立てれば幸いです。
今後もよろしくお願いします。
今日投稿したものをこちらに載せておきますね。
子どもの成長は分かるけど親が『できるようになったこと』っていったいどんなことを指すのか?
— ゆうしんママ|子育てを振り返る| (@yuushinmama88) 2023年11月5日
例えば離乳食の場合、
〈子ども〉
1️⃣もぐもぐできるようになった
2️⃣手づかみで食べられるようになった
3️⃣スプーンを使って食べられるようになった
その一方で親ができるようになっていることは…→ https://t.co/QQDqrrmOyx
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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ご報告
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久々の投稿です。
体調も少しずつ良くなり、この度WordPress(有料ブログ)でブログを開設いたしました。
現在サイト準備中ですので、準備が出来次第ご報告させていただきます!
(子育てに関するブログを制作中です)
皆さんのおかげで、ここまでまで進めることができました。
本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします!
投稿ができていない期間中もアクセスしていただきありがとうございます!!
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いつもありがとうございます
ゆうしんハロです。
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投稿が1週間ほどできない間も、投稿記事を読んでいただき本当にありがとうございました。
実は体調不良で投稿ができなかったのです。
以前の記事でもお伝えしましたが、過労によって心身が強制終了し、療養しながらブログを投稿してきました。
【ご参考にどうぞ】
投稿ペースが少しゆっくりになりますが、今後も楽しみにしていただけば幸いです。
皆様も体調を崩さないようお気を付けください。
読んでくださってありがとうございます。
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七夕飾りの思い出
ゆうしんハロです。
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今回は、「七夕飾りの思い出」について綴っていきます。
幼少期に持ち帰ってきた七夕飾り
子ども達が保育園に通っていた頃、この時期には必ず持ち帰る物があった。
持ち帰れる大きさの笹に、願い事を書いた短冊や七夕飾りを結び付けた笹一式である。
年齢によってまだ字が書けない場合は、保育士さんが代わりに書いてくれることもあった。
毎回短冊を読むと(親目線)、
「まだ字が書けなくて絵の時もあったな~」
「頑張って書いたんだな~」
「夢が叶うといいね~」
と成長を感じると共に、誕生日を迎える度に夢が具体的になっていくのが分かった。
息子は、ヒーローになりたい夢や、欲しい物を書いていた。
娘は、欲しい物やお出かけしたい場所を書いていたことを覚えている。
七夕に向け、保育園で時間をかけて短冊や七夕飾りを一生懸命作っている様子を想像するだけで、感涙。
自宅へ持ち帰るにも、子どもが持つにはやや大きかったため、短冊や飾りが切れて落ちないよう、2人分を注意して持ち帰っていた。
自宅に戻り、余っている短冊に願い事を書き、笹に結び加えた。
子ども達は飾りがいっぱい付いている笹を持ちながら、家中を走り始める。
短冊や飾りが風で揺れる様子がキレイで、嬉しかった様だ。
しかし、気づいてみれば家中に笹や短冊、飾りが落ち、悲しい状況へと変わってしまった。
家の七夕祭りに満足したのか、笹を持つことをやめ、通常の生活パターンへ戻っていった。
七夕飾りその後の行方
2人分の七夕飾りは、リビングに毎回飾っていた。
日持ちするので、秋ぐらいに子ども達にどうするか確認してから片づけていた。
子ども達がワクワクする気持ちで作った物を、簡単には捨てられない。
子ども達は興味を示さないまま、夏休みが始まる。
親は時折その飾りに目を向け、子どもの成長を感じる。
不思議な時間だ。
できる限り長く飾っておきたい私と、必要なければ処分しようとする夫との大きな価値観の違いがあるため、我が家では、子どもに相談をすることは必須なのである。
大きく成長すると
成長した娘が「今日、七夕だったんだ~」と一言。
「あ、本当だね~」と私が返事をし、終了。
大きく成長してしまうと、我が家ではこのような過ごし方になっている。
この時期になると、ショッピングモールで短冊に願いを書くコーナーが設置されていることが多い。
子どもが幼い頃は立ち止まってよく書いていたが、他人の視線が気になる年齢になると、素通りして行くことが増えていった。
今では、他の家族が取り組んでいる姿を見て癒されている。
子どもが幼い頃は、
「元気にすくすく成長してほしい」と子どもの健康を願う親の思いがあったが、
今では、
「家族がいつまでも楽しく健康に過ごせますように」と、家族全員の健康の願いへと変化していったのであった。
あなたは何を願いますか?
最後に
「七夕飾りの思い出」について綴ってきました。
子どもが小さい頃はイベントが盛り沢山でした。
今では、ひな祭りや端午の節句も縁遠くなってしまっています。
我が家では今でも、家族の誕生日は必ずお祝いしています。
今年バイトを始めた娘が、
夫のバースデーケーキをプレゼントしたり、
息子は初任給で、
母の日に掃除機をプレゼントしてくれました。
見返りを求めて子育てをしてきたわけではありませんが、
子育てしてきて良かった~!と噛みしめる事が増えました。
きっと、自分達夫婦がしてきた子育ての方針が間違っていなかったと確信することが増えたからだと思います。
手探り状態でずっと子育てをしてきました。
このような親の元でも素直に育ってくれました。
子ども達に感謝です。
いろいろな経験をさせてくれてありがとう!!
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子どもの汗の匂い
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今回は、「子どもの汗の匂い」について綴っていきます。
子どもの汗の匂い、今もしっかり覚えています。
子どもの汗の匂いって・・・
我が家には、息子と娘がいる。
2人共良く汗をかいていた。
車で移動中、チャイルドシートで寝てしまった時やお昼寝中の寝汗等、
汗をかく機会は多かった。
大人以上に汗をかくため、頻繁に汗を拭き、水分を摂る。
子どもにとって汗は不快なものではない。
思いっきり動いて汗をかく姿が清々しい。
汗だくのまま、膝の上に座った時、ちょうど子どもの頭が私の鼻元にくる。
「う~ん、いっぱい汗をかいたな」と思いながら子どもの汗を拭きとり感じたことがあった。
「息子と娘の匂いに違いがある」と。
娘からはシャンプーの匂いがする。
息子からは動物のような匂いがした。
嫌な匂いではないが、男女差を感じた。
どちらの匂いも、私にはリラックスする匂いであった。
今でもハッキリ覚えている。
成長と共に匂いの差は大きくなっていく
小学生になっても、汗の匂いに変化は無かった。
中学生になると、息子の匂いが強くなり、部屋中に匂いが染み込むようになっていった。
体操服の汗臭はかなり強かった。
娘はあまり変化は無かったが、体操服の汗臭はどうしても避けられなかった。
高校生になると、更に匂いが強くなっていったが、成長の証と思って毎日洗濯していた。
制服についた匂いも、洗濯してもなかなか取れなかった。
娘は相変わらずで、匂いが強くなることは無かった。
ただし、夫の体臭が加齢臭へと変化していった。
家族で体臭対策を始める
夫と息子の体臭対策を始めることになった。
当時のテレビ番組で「体臭にはりんご黒酢が良い」と放送されていたことをきっかけに、りんご黒酢を飲むようになった。
あくまでも健康管理に加えて飲んでいる。
我が家では、りんご黒酢を強炭酸水で薄めて飲んでいる。
1年経過したが、飲み始めてから1ケ月経過する頃には体臭が減り、部屋に染み付いていた匂いも減っていった。
現在は、同じ年齢の方と比べると、体臭の差が明らかである。
健康管理にも良く、体臭も減る良い物に出会えて良かった。
家族全員で愛飲しています! 体臭が減りましたよ~ (6倍希釈です。原液で飲まないように注意してください!)
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強炭酸水が一番飲みやすい! おススメです!!
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最後に
子ども達が小さい頃の汗の匂いはとても良い癒しでしたが、成長と共にやっぱり変化してしまいますね。
あの頃が懐かしい( ;∀;)
親は年齢的に加齢臭も内臓脂肪も気になるお年頃。
家族全員で飲める事も嬉しいですよね。
ただ、強炭酸水のペットボトルのゴミはどうしても多くなってしまいます(-_-;)
お酢は夏バテ対策にも良いのでおススメします!
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妊婦だった頃のつらい経験 その2-2
ゆうしんハロです。
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今回は前回の続き「妊婦だった頃のつらい経験 その2-2」について綴っていきます。
<前回の投稿記事>
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
【目次】
小さく産まれて
2,100グラムで産まれた娘は低出生体重児(未熟児)だったため、NICU(新生児集中治療室)へ移動された。
私は病室に戻ると、
「出産したはずなのに赤ちゃんがいない」ことにとても戸惑った。
息子を出産した時は母子同室だったため、お世話の仕方もよく分からず、一人で戸惑っていたことを覚えている。
<息子の経験談も参考にどうぞ>
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
出産は2回目なので、自分の体の変化にも落ち着いて対応できた。
胸が母乳分泌態勢に入り、母乳が出始める。
でも、近くに赤ちゃんはいない。
そして直接飲ませることもできない。
赤ちゃんのいない病室で1人、母乳を哺乳瓶へ搾乳し、NICUへ運ぶ日々が始まった。
1日4~6回のペースで搾乳していた。
「赤ちゃんに直接飲んでもらった方が楽なのに・・・」
と思いながらも入院中の1週間、毎日母乳を運んだ。
自分を責める日々
初めてNICUで娘と対面した。
保育器にいる娘を見た時、とても小さく、口に管が入っていたため、気持ち悪そうな表情をしていた。
また、管が邪魔だったらしく、小さな手で取り外そうと何度もしているように見えた。
その姿を見て泣けてきた。
娘に触れながら
「やっと会えたね」
と声を掛けたと同時に、
「小さく産んでしまってごめんね」
と言って更に私は泣いてしまった。
誰が悪いわけでもないことは分かっているが、やはり自分を責めてしまう。
何がいけなかったのか。
上の子のお世話で無理をし過ぎてしまったのか。
状況は変わらないが、原因を探してしまう。
私の産後の経過は良く、娘より先に予定通りに退院をした。
我が家に帰ってきたのに、
「赤ちゃんがいない」
虚無感がずっと付きまとってくる。
だが、息子の存在に救われた。
笑顔を見るだけで、前を向けるようになっていった。
退院後は・・・
退院後、毎日6回に分け搾乳し、母乳バッグに入れ冷凍した物を、夕方に家族全員で総合病院へ母乳バッグを持っていき、娘と面会していた。
NICUに入れるのは夫と私のみ。
息子や息子の面倒を見ている私の母は、別室から面会が可能だった。
その様子を当時のビデオカメラに撮ってある。
夫の両手に乗ってしまう程の小ささ。
息子は小さな妹の姿を見て、ちょっとだけお兄さん気分。
微笑ましい光景であった。
そんな日が3週間続き、入院前の準備として母乳を飲ませる機会があった。
脂肪もあまり付いておらず、本当に小さい。
口も小さく、母乳を吸う力も弱く、飲み終えるまで時間もかかっていた。
2人目の子育てではあるが、息子の場合とは状況がかなり異なっている。
そのため、夫婦共に娘の扱いに少し戸惑ってしまった。
娘は無事に退院できるまで成長した。
娘がNICUに入院中、スタッフの皆さんと交換日記をしていた。
「母乳を20ml飲むことができましたよ」
「母乳を哺乳瓶で飲むことができましたよ」
「手足をしっかり動かせるようになってきましたよ」
と些細なことも報告してくれた。
娘と離れていても安心して預けられる環境と信頼関係が生まれていた。
今も大切に保管している。
短い間でしたがお世話になりました。
二人を子育てするということ
実家の母が我が家に来てくれたおかげで、安心して娘の状況を見ながら子育てすることができた。
順調に成長する孫に安心し、1ヶ月程度経過すると母は実家へ戻っていった。
ここから子どもが二人いる生活が始まった。
息子は活発に動く。
息子はずっと構ってほしいし、自分を一番に優先してほしい欲が爆発!!
そうだよね。
ずっと親を独り占めできる環境から、妹が増えたことで親の優先度が自然に変わってしまったのだから、仕方がない。
娘はよく泣き、良く寝る。
息子に比べ、娘のお世話をすることは多いが、娘がまだ小さい頃はできる限り、息子のことを優先するように努めてきた。
2人の昼寝時間が一緒になり始めた頃から、ゆっくりできる時間が増えていった。
すくすく成長し、今も元気に過ごしている。
成長した子ども達に寂しく感じたことがあったか聞いてみた。
2人とも「あった」と答えた。
共働きであったため、寂しさも大きかったのかもしれない。
自分も共働き家庭で育ったからこそ、少しでも寂しくならないよう努力はしてきたが、寂しい経験も成長には必要なことだったと思っている。
しかし子ども達は、中学生の頃からだんだんと寂しさは無くなっていったと言っている。
親が思っている以上に、たくましく育ったのだと感じた。
最後に
「妊婦だった頃のつらい経験 その2-2」について綴ってきました。
出産から十数年が経過しましたが、当時の手帳を見ていると、状況を思い出しますね。
元気に成長してくれて、たくましく育ってくれてありがとう!
今は、子ども達の頑張っている姿に親が励まされています。
家族になれたことに改めて感謝します。
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妊婦だった頃のつらい経験 その2-1
ゆうしんハロです。
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また、いつも読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます🍀
今回は、「妊婦だった頃のつらい経験 その2-1」について綴っていきます。
【目次】
<前回の記事です>
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
第二子(娘)の妊娠
私には子どもが二人いる。
現在は大きく成長し、ほぼ子育ては終わっている。
前回の記事では、第一子(息子)の妊娠時に関する経験談を記載したが、
今回は、第二子(娘)の妊娠時に生死と向き合う経験をしたことを綴っていく。
第一子を出産し、日々子育てをしている中で第二子の妊娠が分かった時は、嬉しい気持ちももちろんあったが、二人目ということもあり、気持ちに余裕があった。
妊娠経過も順調に進んでいたが、妊娠3カ月目のある日、出血した。
「妊娠中の出血は、早めの受診を」と、どの育児本にも記載されていたことを覚えていた。
早速かかりつけの産婦人科を受診し、
「絨毛膜下血種」と診断され薬を処方された。
<絨毛膜下血種について>
『絨毛膜下血腫』は、子宮内に血液がたまることで起こる出血で、超音波検査で発見されます。
出血の量によっては安静を指示されることもあります。引用先:TKUテレビ熊本 曜子先生の女性教室 妊娠初期の出血
【詳細はこちらを参考にしてください】
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
担当の先生から、妊娠初期によくある病気で、薬を飲んで安静に過ごすよう説明があった。
続けて、
先生「血の塊が赤ちゃんの部屋より大きくなったら、諦めることになるかもしれません」
私「・・・・・」
第一子妊娠中に無症状の風しんに罹ったことを思い出していた。
まただ。
どうして順調に進んでいかないのだろうか。
自分の体に原因があるのではないかと、心配になっていった。
※妊娠した時期に基づく先生の判断です。現在と異なる場合があります。
「この子の命を守ってあげたい!!」
夫も同じ気持ちで日々を過ごしていった。
その頃は、息子がもうすぐ2歳の誕生日を迎える時期だった。
行動範囲も広くなり、活発的なため、私は安静に過ごしたかったが限界があった。
現在のように、食材配達やインターネットで簡単に注文ができる環境では無い時代だったため、負担は大きかった。
夫は、できる限り私が安静に過ごせるよう生活環境を整えてくれた。
負担が大きかったと思うが、その時はお互いが必死で、
「お腹の子を守りたい!!」
その一心で過ごしていた。
そんな日々が1ケ月経過し、再度受診。
出血も治まり、血の塊も無くなっていた。
何とか危機を脱出することができた!
そして、お腹の赤ちゃんの生命力の強さに感謝した。
こうして、安心して子育てができる環境に戻った。
第二子(娘)の出産
妊娠9か月目のある日、夕方に突然破水した。
どうしていいのか分からず、身動きが取れないまま2歳の息子に携帯電話を持ってきてもらい、家族に連絡。
産婦人科を受診したが個人病院では対応できないため、市内の総合病院へ救急車で移送してもらった。
出産予定日まで残り1ケ月あるため、陣痛を抑える点滴をしたが、陣痛が収まらず、出産体勢になりいきみ始めたが点滴が効き始め、陣痛が収まり、出産体勢が中止された。
赤ちゃんがお腹で過ごす時間をできる限り長くしたいため、このような状況となった。
緊急事態に感じた息子が急に発熱し、家族は自宅へ一旦戻った。
夜8時ぐらいに陣痛室のベッドに1人きり。
周りに看護師さんの姿すら無かった。
気持ちが落ち着いてきたら、晩御飯を食べていないことに気がついた。
主人にお願いして食べ物を買ってきてもらい、そのまま発熱している息子がいる自宅へ戻って行った。
ベッドに寝転ぶ妊婦が食事を摂ることは困難だった。
様々な装置が付いており、自由が利かない。
結局、紙パックのジュースを飲むことしかできなかった。
数時間経過したが、陣痛がまだ治まらない。
陣痛の間隔も狭くなってきていた。
ナースコールボタンを押し、状況確認した上で陣痛促進の点滴を始め、再度出産体勢に入った。
家族に連絡してもらい、夫が出産に立ち会い、無事に出産できた。
しかし、出生体重が2,100グラムだったため、保育器に入れられた我が子を一瞬見ただけで、触れることもできず、すぐにNICU(新生児集中治療室)へ移動して行った。
鳴き声も小さく、不安なままだった。
そんな中、私は産後処置をしてもらい、病室へ戻った。
両手のしびれがなかなか治らなかったことを覚えている。
その2-1 閉幕
「妊婦だった頃のつらい経験 その2-1」について綴ってきました。
まだまだ話は続きます。
後日投稿する「妊婦だった頃のつらい経験 その2-2」を楽しみにしててください。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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妊婦だった頃のつらい経験 その1
ゆうしんハロです。
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今回は、「妊婦だった頃のつらい経験 その1」について綴っていきます。
第一子(息子)を妊娠した時の話です。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
【目次】
ずっと望んでいた妊娠
結婚してからずっと子どもを望んでいたが、なかなか妊娠することが出来ず、産婦人科で検査を受けようとしていた矢先に妊娠していることが分かった。
初めての妊娠。
夫婦で喜んだ。
両家にも報告し、初孫ができたことにとても喜んでいた。
つわりはテレビで観ていた内容とは異なり、匂いで気持ち悪くなるタイプだった。
炊飯器のご飯が炊ける匂いは、毎朝苦痛だった。
味覚も変わり、好きな食べ物が不味く感じ、嫌いになってしまう不思議な世界に入っていった。
前回の記事でも登場した、たまごクラブを片手に、毎号発行されるたびに隅々まで読み進め、自分の体調に異変がないかを心配していたことを覚えている。
<参考にどうぞ>
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
結局、つわりから解放される日は出産するまで無かった。
長かった。
順調だったはずの妊娠中期
結婚後、家族が増えても良いように、水ぼうそうやおたふくかぜ、風しん等の抗体検査を夫婦で受け、必要な予防接種を受けておいた。
妊娠経過も順調で安心して過ごしていった。
胎動を感じる頃から、母親になる実感を強く感じるようになり、よくお腹の赤ちゃんに話しかけていた。
ところが、妊娠5~6か月頃に妊婦定期健診時に行う血液検査で風しんに罹っていることが発覚。
無症状の風しんだった。
個人病院の産婦人科に通院していたが、総合病院を勧められ、もう一度血液検査を受けることになった。
やはり、無症状の風しんに罹っていることが確定した。
妊娠中に風しんにかかってしまうと、下記のリスクが発生する。
風しんに対する免疫が不十分な妊娠20週頃までの女性が風しんウイルスに感染すると、眼や心臓、耳等に障害をもつ(先天性風しん症候群)子どもが出生することがあります。(妊娠1ヶ月でかかった場合50%以上、妊娠2ヶ月の場合は35%などとされています)。妊娠中の女性は予防接種が受けられないため、特に流行地域においては、抗体を持たない又は抗体価の低い妊婦は、風しんが発生している地域では、可能な限り不要不急の外出を避けていただき、やむを得ず外出をする際には可能な限り人混みを避けていただくなど、風しんにかからないように注意してください。また、妊婦の周りにいる人(妊婦の夫、子ども、その他の同居家族等)は、風しんに感染しないように予防に努めて下さい。
引用先:厚生労働省 風しんについて かかってしまった場合
病院の先生から言われた言葉は、
先生「耳が聞こえない子どもが生まれるかもしれません。または他の障がいを持った子どもが生まれてくるかもしれません。」
私「・・・・・」
先生「妊娠周期から考えると堕ろすか、産むか早めに判断してください」
私「・・・・・」
何も言えず診察室を後にし、家族が待っている待合室で事情を話し、私は泣いた。胎動もあり、元気なのにどうして堕ろすという選択肢が出てくるのかが分からず、ひたすら泣いていた。
※出産した時期に基づく先生の判断です。現在と異なる場合があります。
夫婦で話し合い、
「どんな障がいがあろうとも我が子を育てる」
障がいがあったとしても我が子には違いないと、全てを受け入れ子育てする決意をした。
いざ出産!
その後も順調に成長し、障がいを持って産まれてくる不安もありつつ、予定通り陣痛が始まった。
初産だったため、17時間かかり出産。
元気な男の子が産まれた!
「産まれてきてくれてありがとう。やっと会えたね。」
と赤ちゃんに話しかけた。
当時は聴力を測る機械が出始めたばかりだったため、すぐには確認できなかったが、無事に聴力があることを確認できた。
家族全員で喜んだ!
他に障がいがあることはまだ分からなかったが、聴力があることが分かっただけでも嬉しかった。
黄疸が強く出ていたぐらいで、他に異常はなかった。
退院してからも特に問題はなく、乳児健診でも異常はなく、すくすく成長していった。
血液検査結果を聞いた時のショックは大きかったが、目の前に元気な我が子がいるだけで、判断は間違えていなかったと夫婦で確信した。
その後息子は順調に成長し、成人を迎え、今も元気に過ごしている。
障がいを持って産まれてきたとしても、今と同じ気持ちで子育てをしていただろう。
子どもには、
「大変な境遇の中、産まれてきた生命力の強さがあるんだよ」
と、毎回この妊婦時に経験したつらい状況を分かりやすく誕生日に伝えてきた。
20年以上前のことだが、今も鮮明に覚えている。
「私達夫婦の子どもに産まれてきてくれてありがとう。」
最後に
最後までお読みいただきありがとうございます。
いつもより少し長めになってしまいましたね。
初めての妊娠は不安でいっぱいの日々でしたが、子どもがすくすく成長していく姿はとても嬉しく、時には大変な時期もありましたが、不安だった頃を懐かしく感じてしまいます。
今では、子ども達が大きく成長し、嬉しい反面、寂しい気持ちもあります。
まだ子育てしたい!
そんな気持ちはずっと続くと思います。
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